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ハイメ・デ・ボルボーン (セゴビア公) : ミニ英和和英辞書
ハイメ・デ・ボルボーン (セゴビア公)[こう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ビア : [びあ]
 【名詞】 1. beer 2. (n) beer
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

ハイメ・デ・ボルボーン (セゴビア公) ( リダイレクト:ハイメ・デ・ボルボン (セゴビア公) ) : ウィキペディア日本語版
ハイメ・デ・ボルボン (セゴビア公)[こう]

ハイメ・デ・ボルボン・イ・バッテンベルグ(, 1908年6月23日 - 1975年3月20日)は、スペインの王族。
== 生涯 ==
スペイン王アルフォンソ13世と王妃ビクトリア・エウヘニアの次男として、ラ・グランハ宮殿で生まれた。幼い頃に受けた手術のために聾唖となり、1933年6月に自身と子孫のスペイン王位継承権を放棄することを表明した。その際、父王によってセゴビア公()の称号を授けられた。
アルフォンソ13世が死去した1941年、父王の有していたブルボン家家長の地位を継承しフランス王であることを表明、「アンジュー公アンリ」と称した。フランスの正統王党派(レジティミスト)からはフランス王アンリ6世()と呼ばれた。
1935年、フランス貴族出身のエマニュエル・ド・ダンピエールと結婚、2子をもうけた。
*アルフォンソ(1936年 - 1989年)
*ゴンサーロ(1937年 - 2000年)
ハイメとエマヌエラは1947年ブカレストで離婚した。しかしこの離婚は1949年イタリアの裁判所で認められたものの、スペインの裁判所では認められなかった。1949年8月、ハイメはインスブルックで離婚歴のある歌手シャルロッテ・ティーデマンと再婚した。しかし、離婚を認めないカトリック教会とレジティミストの間では、エマヌエラがハイメの妻であり続けた。
1949年12月6日、ハイメは死去した兄アルフォンソに次いで王位継承権を持つと表明。1964年5月にカルリスタのスペイン王家家長としてマドリード公を称した(ハイメ4世()を名乗った〔「ハイメ3世」にならってアラゴン王国の同名の王を代数に加えた。〕)。1969年7月19日、ハイメは長男アルフォンソの申し出により、正統なスペイン王は甥にあたるフアン・カルロス1世であると表明した〔ただしカルリスタの一部は、サン・ハイメ公アルフォンソ・カルロスの死去によってモリナ伯カルロスの男系男子が絶えた後、アルフォンソ13世を経てハイメとその子孫に、スペインとフランスの王位継承権がともに受け継がれたとしている。〕。
1975年スイスザンクト・ガレン州立病院で死去した。後に棺は甥のフアン・カルロス1世の許可を得て、エル・エスコリアル修道院へ埋葬された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ハイメ・デ・ボルボン (セゴビア公)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Infante Jaime, Duke of Segovia 」があります。




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